第2話:『キミの、笑顔・・・』(後編)





「‥‥‥‥‥‥‥」

つまらないワケじゃない。
いつしか、1人でいる事にも慣れ始めてきている。
でもこうして小学校で過ごす時間は、決して楽しいもんじゃなかった。
「アンタ‥‥‥いつもつまんなそうにしてたら、トモダチできないよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥フンだ、ぶ〜あいそ!」
そう言い残し、彩乃がボクの横を通り過ぎていった。
「無愛想‥‥‥か」
そういえば、もうどこくらい経つんだろう。
あの夢の女性が、ボクに言っていた‥‥‥笑顔を見せて、と。
でもボクは、しばらく笑った覚えがない。
笑えるような事が‥‥‥何もない。

でもその日、家に帰ったボクは、少しだけ笑いかけた。
信じられない出来事が、そこに待っていたからだ。


「えっ‥‥‥か、母ちゃん? 何でこんな時間に家にいるの? 今夜は一緒に
夕飯食べられるの? だったらさ、カレーがいいなぁ!」
「‥‥‥ゴメンね、ヒロキ。ちょっとさ、一緒に来てちょうだい」
「えっ‥‥‥」
‥‥‥こうして浮かびかけた笑みは、一瞬で消え去った。


ボクはしばらくの間、隣りの家に預けられる事となった。
そう、彩乃のいる、宮森家に。


母ちゃんはちょっと大きな仕事が入ってしまい、1週間、家に帰ってこられなく
なったからだ。子供たちはさておき、いつの間にか母親同士は仲良くなっていた
みたいだった。ウチの母ちゃんが、いつも全国各地で買って来るお土産を渡し
ていたのも、そんな関係を促進させるのに一役買っていたのかも。

だが、ここでも当然、ボクの居場所はなく‥‥‥


「‥‥‥フン!」
「‥‥‥‥‥‥」


何もしなきゃいいのに、彩乃はボクの側を通り過ぎる度にそういう態度を
取った。そんな彩乃を嬉しそうに見つめているのが、彼女のお父さん。
海外に行く飛行機のパイロットで、ウチの母ちゃん並に忙しいらしい。
そしてかなり‥‥‥いや、相当に彩乃を可愛がっているようだ。
誰も娘に近づくな、絶対に嫁には行かせないぞ‥‥‥そんな気迫を、ボクは
感じた。


でも少なくとも、ボクに対してそんな心配は無用だ。
だって彩乃は、多分ボクの事はきらいなんだろうから‥‥‥


「‥‥‥ちょっと!」
「‥‥‥あやの‥‥ちゃん?」
「こんな所でイジイジしていないの! さっ、遊びに行くわよ」
「な、なんだよ、いきなり‥‥‥」


ボクはポストの中に入れてある合鍵で、アパートに戻ってきていた。
誰もいない、この部屋に。
ここだけが、ボクの居場所だと思ったから。


だけどいきなりやってきた彩乃は、ボクの腕をつかみ、ここから引っ張り出した
のだ。眩しい夏の太陽が輝く、外へと‥‥‥


「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥なに?」
「いや‥‥‥ちょっと意外。アンタ、全然普通じゃない」
「普通って‥‥何が?」
「引きこもりの、虚弱ウジウジ虫だって思ってたから。だからママに
『ヒロキちゃんと一緒に遊んできなさい』って言われて、すっご〜くイヤだった
けど‥‥‥まあ、それなりに楽しいわね」「
‥‥‥そりゃ、ど〜も」


ボクは初めてやって来た、近所の神社で一緒に遊ぶ事1時間。
そこらの男の子よりよっぽど活発と思える彩乃と、2人サッカーやら森の探検や
ら、あちこち引きずり回された。それにモンクの1つも言わず、ついてきた
ボクを、彩乃はどこか感心したような目で見つめていた。そりゃボクだって、あの
父ちゃんに『男の中の男』として育てられたのだ。‥‥‥さすがに
谷底や、鳴門の大渦に叩きこまれたワケではないけど。
だから決して『引きこもりの虚弱ウジウジ虫』などではない。
でも“虚弱”という部分だけは、当てはまっているようだ。もうボクの身体
は、かなりの疲れにへたばっていた。


神社の巨大な御神木の下にへたりこんだボクは、手足が重かった。
彩乃はちょっとつまらなそうに、でも文句を言う事なく、1人で遊び始めた。
持ってきていた、グライダーを飛ばし始めたのだ。
あれは確か、彩乃のお父さんがオーストラリアで買ってきた、お土産だ。
昨日、あれをもらった時の彩乃は、本当に嬉しそうだった。
彩乃にとって、あのグライダーは宝物なんだろう。


だがしばらくすると、ボクの耳に、彩乃の悲鳴にも似た叫び声が届いた。
涙を浮かべながら、彩乃が見上げていたもの。
それは高い御神木の枝に引っかかってしまった、グライダーだった。
ボクは思わず疲れ切った足で立ち上がり、重くなった腕で、その大樹に
昇り始めた。


どんな時でも、泣いている女の子を黙って放っておいちゃいけない。
それは『男の中の男』として、当然の行動だった‥‥‥父ちゃんの
英才教育のたまものだろう。元々、木登りは苦手ではない。
あのくらいの高さなら‥‥‥でもボクは、大事な事を忘れていた。
今のボクの身体は、疲れで重く、鈍くなっていた事を。
右手を伸ばし、グライダーの翼をつかみ‥‥‥ホッとして、一瞬
気を抜いた直後だった。


樹にしがみついていたボクの左手が、離れてしまった。
そしてゆっくりと、ボクの身体も樹から離れていく。
宙を舞うような、不思議な高揚感‥‥‥それはやがて加速的に
恐怖へと変わっていった。ボクの身体は、そのまま背中から、地面に
ドンッ!と叩きつけられた。激しい痛み、それ以外の何物でもない。
全身を突き抜けた激しい痛みは、そのままボクの中に留まり続けた。
こんな状態が続いたら、あと数十秒もしないうちに、ボクは死んでしまう
んじゃないだろうか。すぐ側で、女の子が泣いていた。
多分、彩乃だろう。
でもボクには、そんな彼女に何も声をかけてあげられない。
もうダメだよ、ダメなんだ‥‥‥‥‥あっ‥‥‥あれっ?
少しずつ、本当に少しずつ。
ボクの痛みが、ひいていくような気がした。
でもそれは、気のせいなんかじゃなかった。
誰かの、あたたかな手の温もり‥‥‥ボクの痛いところを、さする
ように撫ででくれたその手は、やがてボクの苦痛のほとんどを、
拭ってくれたのだ。


「あ、ぁ‥‥‥あのぉ‥‥‥」
何を言えば良いのか、分からなかった。
目の前に立っている、大きな日傘をさした、優しい笑みをたたえた女の人。
黙ったままのボクの顔を、やがて別の誰かが心配そうに覗き込んだ。
「ちょ、ちょっとヒロキ! だいじょうぶ? だいじょうぶなの、ねぇ!」
「‥‥‥うん、まだちょっと痛いけど、平気だよ」
そう言って、手にしていたグライダーを彩乃に手渡した。
不安と恐怖に汚れていた彩乃の顔に、安堵の色が射し込んだ。
そしてどこか照れくさそうに、少し目を逸らしながら、彼女は呟いた。
「‥‥‥ありがと、ヒロキ」
「‥‥‥‥‥ふ、フフッ‥‥あははっ」
何故か、自然と笑いが込み上げてきた。
理由はハッキリ分からないけど、とにかく嬉しかったのだ。
そんなボクを、優しく大きな瞳で見つめ続けていた傘の女性は、本当に
嬉しそうに、言った。「久しぶりだね‥‥‥キミの笑顔」
その優しさに満ちた声を、ボクはどこかで聞いたような気がしてならなかった‥‥‥





(第2話:完)

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