最終話:『ずっと・・・2人で』(後編)





「おっはよう、ヒロちゃん!」
「まだ早ぇよ‥‥‥もう少し寝かせろ!」
「ダメッ! 今日はワタシ、日直だもん」
「何だよ‥‥‥だったら先にさ、1人で行けよ」
「ふぅん‥‥‥そんな事言うんだ、ヒロちゃん」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥ヒロちゃんと一緒に、行きたいのにな〜」
「‥‥‥‥‥クソッ!」
俺は寝ぼけた身体にカツを入れながら、布団を跳ね飛ばした。
そこにはニッコリ、嬉しそうな笑顔の彩乃。
まったく‥‥‥これだから『恋人ゴッコ』ってヤツは疲れるんだよな。
そう思いながらも、一方では目に焼きついて離れない、彩乃の笑顔に朝
からドキドキしていたりもするのだ‥‥‥


「‥‥‥最近、前にも増して、宮森と仲良くないか、お前?」
「そうか? まあ、そう見えちまうんなら、しょうがないか‥‥‥」
「‥‥‥なんだよ、反論なしかよぉ!」
体育の授業中、西ノ森は残念そうにそう言った。
以前の俺なら、確かにムキになって、言い返していたかも知れない。
でも不思議な事に、最近はおちついたというか、冷静になったというか‥‥‥
いざ付き合ってしまうと、こういうものなのかもな。
「次、力道っ!」
ピッ! というホイッスルと共に、俺は駆け出した。
8段のとび箱を飛び越える為の、助走をつける為だ。
途中、ソフトボールをしている女子の姿が見えた。
走っている俺を、どこかワクワクした目で見つめている、彩乃の顔も見えた。
「よし‥‥‥思いっきり‥‥‥ぅ?」
突然、下腹の辺りに感じた、痛みにも似た違和感。
でも俺は、それを堪え、一気に踏み台に飛び込んだ。
宙をフワリと舞い、余裕のジャンプ。
そして着地‥‥‥‥マットに、しゃがみこんで‥‥‥‥
そのまま、俺は自力で立ち上がる事が、できなかった。



「‥‥‥アラビア湾の大型タンカー事故は‥‥‥
被害は‥‥海域まで広がり‥‥‥」
病院の待合室では、何かの臨時ニュースが流れていた。
今日で連続5日目の通院。
こんな日々は、かなり久々だった。
意味があるのかないのか分からない診察を受け、検診用に
血を抜かれ、当たりさわりのない事を言われ、後は薬をもらって
帰るだけ。何もない、何も残らない、灰色の日々。
昔抱いていた、医者や病院への不信感が甦る。
どんなに優しく穏やかな笑顔で『お大事に』と言われても、それは俺には
皮肉としか受け取れなかった。
「‥‥‥力道さん」
ようやく呼ばれた。
後は薬をもらって、帰るだけだ‥‥‥


「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥今日は随分長かったね、ヒロちゃん」
「‥‥‥ああ」
彩乃は、ロビーで俺を待っていてくれた。
今日を含めて、5日間ずっと。


「‥‥‥あのさ、ヒロちゃん。今日さ、ウチに晩ご飯食べに来ない? 
今日はね、ママがビーフシチューにするって‥‥‥」
「‥‥‥いいよ、別に」
「じゃ、じゃあさ、一緒に宿題やろうよ! 
分からないところがあったらさ、教えてあげるから‥‥‥」
「一人でやるよ」
「ちょ、ちょっとヒロちゃん!」
「‥‥‥じゃあな」
アパートの階段を昇りながら、俺は感謝していた。
ついさっきまで、彩乃が沈黙を保っていてくれた事に。
俺に気を使う彩乃が、何とかして俺を励まそうとしてくれる
彩乃の気持ちが、今の俺には辛かった。
優しくされればされるほどに、何だか自分が惨めに思えてしまう。
こんな俺は‥‥‥イヤだ。
早く、何とかしたい。
100%元気でなくてもいいから、体育の授業に出られなくてもいい
から、こんな状況だけは抜け出したい。
そしたらまた、彩乃のあの笑顔を、まっすぐ見つめられる
ような気がする‥‥‥



でも俺の身体は、そんな俺の願いには答えてくれなかった。
一日、また一日‥‥‥日を重ねる毎に、俺は自分に失望していった。
身体は重く、辛く、ただ俺を苦しめるだけ。
肉体を持った存在である自分が、恨めしく思えてくる。
希望のない毎日が、ただ続いていく‥‥‥


そんな俺の横に、いつも彩乃の笑顔があった。
どんなに俺が不機嫌でも、イラだってヤツ当たりしても。
偽善、という言葉とは縁遠い、本当に俺を思ってくれる笑顔が。
弱者への優越感でもない、哀れみでもない優しさが。
初めて出会ってから、もう10年近くの月日を共に
過ごしてきた俺には、その事がよく分かった。
分かり過ぎるから‥‥‥もう耐え切れなかった。


俺は彩乃が好きだ。
だから、ずっと側にいたいと思った。
いつも俺の横で、泣いたり怒ったり、笑っていてほしいと思った。
でも‥‥‥それは、こんな形じゃない。
俺は、彩乃と‥‥‥‥‥‥



「‥‥‥あのさ、彩乃」
「んっ、なぁに、ヒロちゃん?」
何度目かの、病院帰り。
俺は彩乃に、その言葉を告げていた。
「やっぱり‥‥‥別れてくれないかな」
「‥‥‥‥‥‥‥‥えっ?」
いつもより何テンポも遅れた、彩乃のリアクション。
だが俺は、そんな彩乃から視線を逸らし、返事を待った。
いや、彩乃が何を言ってきても、俺は自分の言った事を覆すつもりはなかった。
これ以上、今の関係を続けたら、俺は彩乃を遠ざけてしまうだろう。
そしてそんな自分を、最低の自分を許す事はできない。
もうこれ以上、苦しいのはイヤだ、イヤなんだよ!
だから‥‥‥だからさ、彩乃‥‥‥
「‥‥‥‥‥ウン、分かったよ、ヒロちゃん」
長い空白の後、俺の耳に届いた言葉。
それは少しだけ、俺の苦しみを拭ってくれたような気がした。
「やっぱりワタシたち、恋人同士ってガラじゃないのかもね。
結構ムリしてたでしょ、ヒロちゃん?」
「ま‥‥‥まあ‥‥な」
明るい、いつもと変わらない声で、彩乃は俺にそう言った。
俺のすぐ後ろにいる、すぐ後ろを歩いている、彩乃。
今の彩乃が、どんな顔をしているのか‥‥‥見れなかった、振り返れなかった。
「でもさ、ヒロちゃん‥‥‥前みたいでいいんだよね? 
ワタシたち、腐れ縁で、友達で‥‥‥幼馴染だよね?」

「‥‥‥‥‥‥ありがとな、彩乃」
その小さな声が、彩乃に届いたかどうかは分からない。
でも今の俺には、それだけ言うのが精一杯だった



部屋に戻るなり、俺は布団に潜り込んだ。
そして狭い闇の中で、低いうめき声を洩らした。
いつしか、勝手に涙が溢れ出していた。
どんなに止めようと思っても、止まる事のない涙が。
俺は独り、自分に与えられた運命に失望した‥‥‥
苦しみから僅かに解放される、浅い眠りに堕ちるまで。




‥‥‥どうして‥‥あなたはそんな悲しそうなの?
あなたはそうじゃない‥‥どうしてそんな顔をしているの?
‥‥つらいの?
‥‥苦しいの?
でも‥‥大丈夫
大丈夫
大丈夫だよ
もうすぐ、そこに行くから
あなたの側に行くから
わたしが‥‥行くからね




(最終話:完)
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